やっぱり 山下達郎が最高! - 山下達郎の大ファンである管理人が、山下達郎に関するあれこれを書いています。 |
|
■ 「 レコード・コレクターズ 」 誌 ■ | 対談 : 大瀧詠一 × 山下達郎 「 フィル・スペクタ− 」 特集 |
sponsored links |
|
( 2008-03-14 ) | 山下達郎 : TOPページ |
達郎さんの レココレ対談 4度目は、93年1月号の 「 フィル・スペクター 」
特集での対談。 対談の相手はもちろん ナイアガラ師匠。 司会・萩原健太さんによって 大瀧 ・山下対談が行われました。 「 フォー・シーズンズ 」 特集と同様に 健太さんによる スペクターのバイオグラフィーの記事の後に、 「 "50年代" を発展させた新しいポップス制作術 」というタイトルで、10ページに渡り対談が行われて います。 もちろんまたまた濃厚な内容の対談だったのですが、面白かったのが対談の一番最後のところ。 ちょっと勝手に 引用させていただいて … 「 もしスペクターが復活するなら NO.1ヒットを出さなくちゃダメ。 」 「 伝説が復活するということはそういうこと。 」 「 でもダメでもいいじゃない。 オレがスピリット受け継いでやってんだから。 」 という大瀧師匠の発言に対して健太さん … 「 早くそれをまた形にして下さいよ。 」 そこで師匠 … 「 スイマセン。 全くだ。 実行が難しいんだなぁ。 コレが(笑)。 」 同ページにはその時の模様と思われる、大瀧師匠が顔を押さえて面目なさそうに下を向き、達郎さん・ 健太さんが笑っている写真が掲載されています。 その後 皆さんご存知のように 85年の 「 フィヨルドの少女/バチェラー・ガール 」 のシングル以来、 12年ぶりにリリースした97年の 「 幸せな結末 」 がミリオンヒットを記録しました。 見事に伝説を復活させたわけですね。 こんな快挙をあげた日本人ミュージシャン、他にはいないでしょう。 … さすがは師匠。 その後しばらく、達郎さんのレココレ対談の企画はありませんでしたが、2000年10月号で久しぶりに、 Barry Mann ( バリー・マン ) 特集の中で座談会が行われました。 朝妻一郎さん・長門芳郎さん・そして達郎さんの三者による座談会でした。 レコード・コレクターズ : 1993年 1月号 コメントは こちらから |
【 カテゴリー 一覧 】 ■ コンサート ■ ニュー・リリース情報 ■ メディア登場情報 ■ 山下達郎 オフィシャル・ファンクラブ ■ ファンクラブ会報 「 タツローマニア 」 到着 ■ 「 タツローくん 」 カレンダー ■ グッズ / コレクション ■ 山下達郎 サインギャラリー ■ 歌詞 ■ 関係各位 ■ 達郎作品 vs 洋楽作品 ■ 洋楽の先生、達郎先生 ■ 「 レコード・コレクターズ 」 誌 ■ レコード・コレクターズ誌 「 私の収穫 」 ■ 邦楽作品のカバー ■ 私の達郎編集盤 ■ アンケート ■ 誕生日 ■ アルバム・ディスコグラフィ ■ サンデー・ソングブック - プレイリスト ( 1995年 〜 2000年 ) ■ サンデー・ソングブック - プレイリスト ( 2001年 〜 ) ■ その他の話題 sponsored links |
sponsored links |
Copyright © 山下達郎.org | やっぱり 山下達郎が最高! |