やっぱり 山下達郎が最高! - 山下達郎の大ファンである管理人が、山下達郎に関するあれこれを書いています。 |
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■ グッズ / コレクション ■ | 東京人 : 2001年11月号 ( No.172 ) |
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( 2014-05-14 ) | 山下達郎 : TOPページ |
「 都市を味わい、都市を批評し、都市を創る 」 がキャッチ・フレーズの 「
東京人 」 。 東京の様々な事象を探っていく、毎月3日発売の月刊誌です。 だいぶ前の話になりますが その 「 東京人 」 では 「 落語 いいねぇ! 」 という特集が組まれ、 その際に 1ページだけではありますが 達郎さんのエッセイが掲載されました。 以前 下記の演芸関係の雑誌 … ・ 達郎さんと春風亭昇太さんの対談の模様が掲載された 笑芸人 ( 2002年 ) ・ 達郎さんのエッセイが掲載された 東京かわら版 ( 2006年 ) について書きましたが、これはそれらよりも古く、2001年に発行された雑誌です。 ( 2001年11月号 ) ![]() いくつか抜き出して、内容を紹介してみたいと思います。 エッセイのタイトルは 「 あわや三亀松の弟子に。 」 (^^) ・ ( 小学校高学年の時 ) 両親が共稼ぎだったため 母方の伯父がよく、自分の面倒を見てくれた。 ・ 伯父は三味線漫談の 柳家三亀松 と懇意にしていたため、一緒に多くの演芸会に足を運んだ。 ・ 自分は見よう見まねで 噺家、漫才師などの真似をするようになった。 伯父は喜んだ。 ・ 中学生になると 生活は音楽一色になり、演芸への興味は失われた。 ・ 二十代の時 フラリと入ったレコード屋で偶然 「 五代目 古今亭志ん生 」 の名演集を目にし、 何の気もなしに レジへ持って行った。 ・ それで はまってしまった。 ・ 小学生の時、伯父が三亀松に(達郎さんを)弟子にするよう、頼みにいったことがある。 ・ しかし 「 子供に芸人の苦労をさせるのは かわいそうだ 」 と断られた。 ・ あの時入門していたら 自分は今頃、寄席芸人の道を歩んでいたのだろうか? ![]() この話、それなりに有名な話ではあるので、知っている方もおられると思います。 その後、この話の拡大版のような内容が、2007年4月にスタジオジブリから出版された 「 熱風 」 誌の 落語の特集に掲載されました。 ( “落語ひとり遊び” というタイトルの達郎さんの寄稿 ) この時の内容は ジブリに許可を得て、FC会報に全文が転載されました。 ( タツローマニア No.64, 2007年冬号 ) ので、この 「 熱風 」 誌、私は持っていません。 まあ、しかし、達郎さんが本当に弟子入りしていたら … 一体 どんな芸人さんになっていましたかね? それはそれで、見たかったような気もします。 コメントは こちらから |
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