やっぱり 山下達郎が最高! - 山下達郎の大ファンである管理人が、山下達郎に関するあれこれを書いています。 |
|
■ 洋楽の先生、達郎先生 ■ | Laura Nyro ( ローラ・ニーロ ) |
sponsored links |
|
( 2014-09-19 ) | 山下達郎 : TOPページ |
達郎さんが敬愛するローラ・ニーロは、ニューヨーク・ブロンクス出身の
女性シンガー・ソング・ライター です。 ( 1997年に49歳の若さで亡くなっています ) ローラはハイ・スクールを卒業すると 音楽出版社へ自作曲の売り込みを始め、のちに VERVE/FOLK WAYS と契約。 1966年には シングル 「 WEDDING BELL BLUES 」 で レコード・デビューを果たし ( 若干19歳 )、 翌1967年には アルバム 「 MORE THAN A NEW DISCOVERY 」 をリリースしますが、セールスの方は イマイチ。 ※ 「 MORE THAN A NEW DISCOVERY 」 は 1973年にCBSから、「 THE FIRST SONG 」 と アルバム タイトルを変えて再発されています。 1968年、今度はCBSと契約を交わし、同年2月には 2ndアルバム 「 ELI AND THE THIRTEENTH CON FESSION ( イーライと13番目の懺悔 ) 」 をリリース。 1969年には 3rdアルバム 「 NEW YORK TENDABERRY 」、1970年には 「 CHRISTMAS AND THE BEADS OF SWEET 」、1971年には R&Bのカバー集 「 GONNA TAKE A MIRACLE 」 をリリース。 2ndアルバムのプロデュースを担当したのは、達郎さんの 「 サーカス・タウン 」 A面のプロデュースも 担当した チャーリー・カレロ。 4thアルバムは A面がラスカルズのフェリックス・キャヴァリエ、B面がアリフ・マーディンによるプロデュ ース。 5thアルバムは ギャンブル&ハフによるプロディースと、達郎さんが影響を受けた人たちが たくさん 関わっています。 アルバムでは 3rdアルバムの32位、シングルでは 4thアルバムにも収録された ゴフィン&キング作 「 UP ON THE ROOF 」 のカバーの92位が最高位と、やはりセールス的には あまり振るいません。 しかし これらのアルバムから、他のシンガーやグループによって作品がカバーされ、ヒットが続々と 出始めます。 ・ STONED SOUL PICNIC : 5TH DIMENSION ( '68 / 3位 ) ・ SWEET BLINDNESS : 〃 ( '68 / 13位 ) ・ WEDDING BELL BLUES : 〃 ( '69 / 1位 ) ・ BLOWING AWAY : 〃 ( '69 / 21位 ) ・ SAVE THE COUNTRY : 〃 ( '70 / 27位 ) ・ AND WHEN I DIE : BLOOD, SWEAT & TEARS ( '68 / 2位 ) ・ ELI'S COMIN' : THREE DOG NIGHT ( '69 / 10位 ) ・ STONEY END : BARBRA STREISAND ( '71 / 6位 ) … などなど。 これらのヒットにより シンガーとしてよりも、ソング・ライターとして 注目を集めることになります。 1972年には来日公演も果たしています。 その後、プライベートでの様々なトラブルなどにより しばらくの間シーンから消えてしまいますが、1976 年に 約5年ぶりの6thアルバム 「 SMILE 」 をリリース。 以前 こちらにも書きましたが ( → LAURA NYRO / SMILE )、その 「 スマイル 」 の演奏メンバーは 達郎さんの 「 サーカ・スタウン 」 A面の演奏メンバーと、ほとんど同じです。 以降も 1977年と1989年にライブ・アルバム、1978, 1984, 1993年にオリジナル・アルバムをリリース しています。 1993年の 「 WALK THE DOG & LIGHT THE LIGHT 」 が 生前最後のアルバムとなったわけですが、 当時 達郎さんが掲載していた 「 CUT 」 誌のコラムのページで、このアルバムについて 下記のように 語っていました。 「 10年振りのオリジナル・アルバム ... 私は正直、あまり期待していなかった。」 「 カムバック・アルバムが、最盛期のクオリティを保持している場合は稀だから。」 「 長い間レコーディングしていないと声は出なく、創作意欲も衰えていると考えるのが普通。」 「 ところが一曲目のイントロの一人多重コーラスを浴びた途端、私の危惧は霧散霧消してしまった。」 「 10代の私が夢中で聞いていたローラ・ニーロの歌声と、少しも変わらない表現力。」 「 私はすっかり10代に戻ったようにエキサイトしていた。 しかも少しも ナツメロじゃない。」 達郎さんの作品の中にも、ローラに影響されているものがあります。 一番それっぽいのが 「 SPACY 」 に収録された、「 言えなかった言葉を 」 じゃないでしょうか。 「 MELODIES 」 収録の 「 黙想 」 も、ローラ・ニーロ的な静謐(せいひつ)さが欲しくて制作した作品だ そうです。 ローラが 「 GONNA TAKE A MIRACLE 」 でカバーした 「 SPANISH HARLEM 」 と 「 THE WIND 」 を、 達郎さんも 「 オンスト1 」 でカバーしていたりもします。 「 SONORITE 」 の最後の曲には当初、ローラの 「 AND WHEN I DIE 」 のカバーが収録される予定 でしたが、事情あって 「 WHEN YOU WISH UPON A STAR 〜星に願いを〜 」 に変更されたなどという こともありました。 1994年には2度目の来日公演 ( 東京・大阪・神戸・名古屋 : 全6公演 ) を果たしていますが、この公演 を手掛けたのが、シュガー・ベイブのマネージャーを担当していた 長門芳郎さん。 達郎さんも、東京公演・名古屋公演をご覧になられたそうです。 来日時 ローラは、長門さんからプレゼントされた 「 オンスト 」 を 新幹線の中で熱心に聴いて、仕切り に感心していたといいます。 この時 長門さんは ツアー・マネージャーとして、ローラらとともに 9日間を過ごしたということですが、 その時の様子が 2003年にリリースされた 「 ローラ・ニーロ ライブ・イン・ジャパン 1994 」 のライナー ノートに、5ページに渡り掲載されています。 「 ライブ・イン・ジャパン 1994 」 の詳細は、下記画像から。 すでに廃盤のようで、現在は中古品にとんでもない値段がついているみたい … 。 当時 自分が買った時は ¥2,600だったのに … 。 自分も、達郎さんの影響が大きいのですが ローラのファンでして、アルバムはコンプリートしています。 先ほど 生前最後のアルバムは 「 WALK THE DOG & LIGHT THE LIGHT 」 と書きましたが、リリース 当時 このアルバムの1曲目に収録された 「 OH YEAR MABY BABY 」 ( CRYSTALSのカバー ) に痛く 感動しまして。 もし将来 自分が結婚するようなことがあって、どうしても披露宴をやらなくちゃいけないとなった時には、 その 「 OH YEAR ... 」 を入場の時にかけたい … などと思ったこともありました。 ( 結局 披露宴はやらずに済みました。ほっ。) ちなみに達郎さん・まりやさんは、結婚披露宴の入場時には レターメンの 「 Put Your Head On My Shoulder 」 を使用したそうですが、お色直しの際には ローラ・ニーロのデビュー曲 「 WEDDING BELL BLUES 」 を使用したということです。 LAURA NYRO / WEDDING BELL BLUES : YouTube コメントは こちらから |
【 カテゴリー 一覧 】 ■ コンサート ■ ニュー・リリース情報 ■ メディア登場情報 ■ 山下達郎 オフィシャル・ファンクラブ ■ ファンクラブ会報 「 タツローマニア 」 到着 ■ 「 タツローくん 」 カレンダー ■ グッズ / コレクション ■ 山下達郎 サインギャラリー ■ 歌詞 ■ 関係各位 ■ 達郎作品 vs 洋楽作品 ■ 洋楽の先生、達郎先生 ■ 「 レコード・コレクターズ 」 誌 ■ レコード・コレクターズ誌 「 私の収穫 」 ■ 邦楽作品のカバー ■ 私の達郎編集盤 ■ アンケート ■ 誕生日 ■ アルバム・ディスコグラフィ ■ サンデー・ソングブック - プレイリスト ( 1995年 〜 2000年 ) ■ サンデー・ソングブック - プレイリスト ( 2001年 〜 ) ■ その他の話題 sponsored links |
sponsored links |
Copyright © 山下達郎.org | やっぱり 山下達郎が最高! |