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■ グッズ / コレクション ■   月刊プレイボーイ : 1986年7月号 ( 133号 )


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  ( 2016-01-13 )   山下達郎 : TOPページ


  月刊プレイボーイ 1986年7月号(133号)。

月刊プレイボーイ


表紙を見れば、お子様向けの雑誌じゃないことは一目瞭然 … 。


で、このプレイボーイ誌がどうしたのかといいますと、約3ページに渡り、達郎さんへのインタビューが
掲載されているんです。

この本が発売されたのが、1986年6月。

今年30周年を迎える 達郎さんの、「 ポケット・ミュージック 」 が発売されたのが同年5月。

そんなことで、「 ポケット・ミュージック 」 の話題を含むインタビューが掲載されています。

せっかくですので、少々内容のほうを紹介してみたいと思います。


まず巻頭に、今月号の特集をピックアップして紹介しているページがあるのですが …

ピックアップ

「 どうもここ数年、夏がくる! というワクワク感がない状態で準備不足のまま夏に突入してしまって
  いたのは、この人のニューアルバムが出なかったからなんだな。夏の定番商品 = 3年ぶりの山達は、
  どう変化したか? 」


と。

インタビューのページの序文にも …

「 サマーサウンドの極めつけ、タツローの近作アルバム 「 ポケット・ミュージック 」 が出た。前作
  「 メロディーズ 」 からすでに3年、待たれていた通算12枚目の力作。」


などと。

「 ポケット・ミュージック 」 のどこが “サマーサウンドの極めつけ” なのか分かりませんが、1986年
当時はまだ 「 夏だ! 海だ! 」 を達郎さんは求められていたんですね。


インタビュー。


■ Q. シンセは使いたくなかった? / A. 未完成な楽器だからね

「 その時代の音楽をとりまくテクノロジーというのは、音楽にすごく反映する。それが、ひとつの時代
  を喚起させる音の色になる。」

「 70年代でいえば、フェンダーのローズピアノの音。一世を風靡したけれど、余りによく使われた
  ために、10年経つとそれが古さとなって現れる場合も多くなった。」

「 で、新しいキーボードの音は何かということで、今度はシンセに手を出す。これは、流行音楽の
  縮図。」

「 楽器的に言ってもシンセサイザーというのは、まだ非常に不十分な部分が多い。これが定着した
  最終的な形だとは、誰もまだ言えない。」

「 僕は、なるべく楽器の完成されたトーン、音の中での、その楽器の持っているガッツみたいなもの
  を使って音楽やったほうが、より様式的なものができると思っている。」


■ Q. 「 ウォー・ソング 」 はメッセージですか? / A. 30歳を過ぎて強く思うことがあって …

「 別にプロになってスターになりたいとか、そういう発想は当時(70年代)誰も持ってなかったが … 」

「 レコードで、何か自分のアイデンティティを世の中に認めさせたいというのは、誰でも持っていた。
  それを思わないでやる人はいない。」

「 そこのところでキュウキュウしてたのが、6年ぐらいでひと通り決着ついたような気持ちになったの
  が、30歳ごろだった。」

「 今度のアルバムにも、“ザ・ウォー・ソング” というメッセージっぽい曲が入ってるけど、結局、何らか
  の形で自分の考え方を、レコードを作っている以上は現していかないと … というような、漠然とした
  感じがある。」

「 特に30歳頃から強くなって、それで自分の言葉で詞を書き始めた。」


■ Q. 一番嫌いな音楽って? / A. 「 学生時代 」! なぜなら …

「 僕は、演歌に関しては何の拒否反応もない。強いて嫌いな音楽を言えば、「 学生時代 」 かな。
  あの ♪蔦の〜からまるチャペル … って歌。」

「 “抱きしめ音楽” というか、空虚な連帯感を歌うようなのはダメ。」

「 演歌で一番好きなのは “東京砂漠” かな、クール・ファイブの。彼らの全集持ってる。」


■ Q. まともな日本語はロックに乗らない? / A. 肉体化するなら30年はやらなきゃ

「 僕らがやってる音楽ってのは借り物。アメリカで生まれた一種の民族音楽だから。」

「 本質的に、このメロディーラインの持ってるビート感に、日本語は合わない。」

「 僕らのは、その乗らないビートにどう日本語を乗っけるかという、苦心惨憺(くしんさんたん)の
  10数年だった。」

「 ほとんど6割・7割方は、歌の表情づけで決まる。だからみんな変わった歌い方をする。清志郎は
  清志郎、永ちゃんは永ちゃん、桑田は桑田。」

「 ロックという我々の肉体にはない音楽を、日本の文化に定着させようと思ったら、これを肉体化
  するまで続けなきゃいけない。もし肉体化を望むのであれば、少なくとも30年はかけないと。」

「 だから僕は、スタイルを変えまいと思ってやっている段階。変えたいと思う時もある。」

「 でも、なるべく変えないようにして。それが自分に課せられた命題だと思ってやっている。」



インタビュー 1

インタビュー 2


この時の達郎さんは33歳。 若い時から頑固者っぽそうですね〜 (笑)

結局スタイルは、今現在まで変わらずに来てしまいました。


ちなみに月刊プレイボーイ誌は、2008年をもって終刊となっています。


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