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■ 「 レコード・コレクターズ 」 誌 ■ | 「 “ビーチ・ボーイズ リアル・ストーリー” が生み出した新たな誤解 」 |
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( 2018-04-19 ) | 山下達郎 : TOPページ |
先日
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に、古いレコード・コレクターズ誌、3冊を入手した件を書きましたが … その中の1冊の、1989年2月号。 当号には、達郎さんが初めて参加した際の、レココレ恒例 「 私の収穫 」 が掲載されています。 この時は、達郎さんが88年に入手したお宝、ベスト3が掲載されました。 当然、この 「 私の収穫 」 が読みたくて当号を購入したわけでしたが、読み続けていくと、達郎さんが 寄稿した別な記事を発見。 「 “ビーチ・ボーイズ リアル・ストーリー” が生み出した新たな誤解 」 - 山下達郎 - 1986年にアメリカで 「 Heroes and Villains : The True Story of the Beach Boys 」 というタイトルの 書籍が出版されました。 ( Steven Gaines 著 ) これは、ビーチ・ボーイズの 「 音楽 」 についてを書いたものではなく、ビーチ・ボーイズの 「 スキャン ダル 」 に焦点を当てて書かれたものです。 で、この本の邦訳版が 「 ビーチ・ボーイズ リアル・ストーリー 」 といったタイトルで、1988年に出版され ました。 ・ ビーチ・ボーイズ リアル・ストーリー(上) ・ ビーチ・ボーイズ リアル・ストーリー(下) レココレの記事では、この本に対して、達郎さんが物申しています。 “ このところ、ビーチボーイズ関係の記事や特集をよく目にする。ブライアンのソロ、それにうまく符合 するかのように邦訳されたスティーヴン・ゲインズの 「 ビーチ・ボーイズ リアル・ストーリー 」 が原因 と思われるが、それにしても一体誰があの本の邦訳をしようと思い立ったのだろう。 ” “ 確かに面白い本ではある。しかしながら、あの本は決してビーチ・ボーイズの 「 音楽 」 について 書かれた本ではない。あの本はあくまでテレビの奥様向け芸能番組やFF雑誌のような視座で書か れたものである。” “ どんな巧妙に音楽ジャーナリズムの装いをまとっていても、あの本は本質的には芸能界のスキャン ダルを題材にすることで購買意欲をそそろうとしているのであり、芸能人物語に関する興味は万国共通 だという担当者の判断があればこそ、あの本はビーチ・ボーイズについての出版物として初めて邦訳 されたのである。” “ 最近ちょっとした雑誌、音楽誌をめくってみても、やれこの本はビーチ・ボーイズの実像に迫るだの、 ロックン・ロールの隠れた真実だのという賛辞ばかりを目にする度に、何か大切なものを台無しにされ ているような気になってきて、一体この文章を書いている人たちは今までロックン・ロールに何を求めて きたのだろう、ビートルズやストーンズと違ってオリジナル・カタログさえ満足に手に入らないビーチ・ ボーイズ、結局、彼らの欲しているものは 「 音楽 」 ではなく 「 読み物 」 であり 「 イメージ 」 なのだ、 夏と海とビーチ・ボーイズだけでもいい加減こりごりしている上に、今度は猫も杓子も 「 ペット・サウ ンズ 」 「 スマイル 」 になるのだろうか、いやだいやだ、こんな世迷い言の記事で、特に若い人たちに 妙に屈折したビーチ・ボーイズのイメージが拡がなければよいが、と思っているだけなのだ。” “ ビーチ・ボーイズの真に偉大な所、そして不思議な所は、あの風俗的な歌をあのコード・プログレッ ションとあのアレンジで演っている、という点に尽きる。ではいつ、何故そうなったのか?” “ ブライアンはどういう必然でルートを回避するコーディングを選択するようになったのか? キャピトル 契約以前に 「 サーファー・ガール 」 はすでに存在していた。なのに3枚目のアルバムまであの傑作が 登場しなかったのは何故か?” “ 「 カントリー・フェア 」 から 「 アミューズメント・パーク 」 への発展経過は? そしてフレディ・キャノン との因果関係は? 「 ユア・サマー・ドリーム 」 には何故コーラスが入ってないのか?” “ 何故 「 ウェンディ 」 からいきなりヴォーカルがセンターに定位するようになったのか? 「 ゼア・ハート ・ワー・フル・オブ・スプリング 」 は何故 「 ア・ヤング・マン・イズ・ゴーン 」 と詞が変えられて歌われた のか?” “ 「 ドント・ウォーリー・ベイビー 」 のヴォーカル・アレンジなどはかなりフォー・シーズンズに対抗して いる節があり、また 「 カー・クレイジー・キューティー 」 などは明らかにディオンのスタイルだ。そうした イースト・コースト・ヴォーカル・グループへの対抗意識は?” “ … まだまだ一杯あるが、要するに私の知りたいのはこうした事柄であり、断じてブライアンの付き 合っていた女性のことなどではない。” “ 音楽家の人間性を知ることも確かに重要ではあるだろう。だが、ビーチ・ボーイズに関する資料が 誰の目にも届く所にふんだんにあるのならともかく、邦訳の栄に浴したビーチ・ボーイズ関係の書物が 一冊もない我が国で、「 リアル・ストーリー 」 のような内容の本を過度に評価する気持ちにはとても なれない。かえって、また新たな誤解を生み出す恐れがある。” “ 公式に発表されたすべての音源がオリジナル・シークエンスのままで、誰もが容易に手に入る状況で すらないのに、上下巻に及ぶ暴露本にどれほどの価値があるのか私には疑問である。” “ 我々はレコードの中から送られてくる音の中の何ものかに感応したからこそ、ビーチ・ボーイズを 愛するようになったのであり、何よりも 「 初めに音楽ありき 」、耳で聴くこと抜きに一体何があるという のだろう。” “ 「 ペット・サウンズ 」 は語り継がれるべき作品である。何故ならこのアルバムは、たった一人の人間 の情念のおもむくままに作られたものであるが故に、時代性への義務、おもねり、媚びといった呪縛の 一切から真に逃れ得た、稀有な一枚だからである。のこアルバムの中には 「 時代性 」 はおろか、 「 ロックン・ロール 」 というような 「 カテゴリ 」 さえ存在しない。” “ 「 ペット・サウンズ 」 は私のような者にとっては 「 音楽とはかく作るべし 」 という道標であり、また 容易に真似のできるような代物でもない、その意味では憧れでもある。「 ペット・サウンズ 」 が我々に 示しているのは、真の 「 オリジナリティ 」 とは何か、という命題であり、それ以外の枝葉末節は何ら 重要ではない。” “ ブライアン・ウィルソンのソロアルバムは、心あるビーチ・ボーイズのファンにとっては、ブライアンが よくぞアルバムが作れるまでに精神的に回復してくれたという証明であり、それだけで十分なのだ。 それを “80年代のペット・サウンズ” などという安易なプロパーにおとしめることだけはやめてもらい たい。本気でそんな風に考えている人の耳を、私は絶対に信用しない。” “ 限られた情報から多くの誤解が生まれ、それによって今また新たな伝説が捏造されようとしているの を見るのは悲しく、苦々しい。ブライアンとビーチ・ボーイズを心から愛するファンの一人として、このこと を誰かが今言っておくべきだと思った。” … ビーチ・ボーイズのファンにとっては、すごーーく納得のできる見解でした。 コメントは こちらから |
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