やっぱり 山下達郎が最高! - 山下達郎の大ファンである管理人が、山下達郎に関するあれこれを書いています。 |
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■ 関係各位 ■ | 佐野元春さん |
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( 2014-03-25 ) | 山下達郎 : TOPページ |
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関係各位 )
で、ナイアガラ・トライアングル ( 1&2 ) のメンバーである、大滝 師匠、銀次さん、杉さんと達郎さんの関係については書いていますが。 誰か一人抜けている … 。 はい、そうです、佐野さん。 佐野元春さんですね。 でも この 達郎さんと佐野さんのラインが、一番薄いんですよね。 ナイアガラ・トライアングルのメンバー 同士の中では。 元春Radioshowに 達郎さんがゲストで出たとか、新春放談を 佐野さんの番組内 ( サウンドストリート ) でやったりとか、ラジオ絡みではいくつかありましたが。 ・ 1986年 : 元春Radioshow / ゲスト・山下達郎 ・ 1987年 : 新春放談 (佐野元春 サウンドストリート) お互いのレコーディングに参加し合うとかも、過去に無いようですし。 ちょっと半ば無理やりですが、達郎さんと佐野さんの お互いに対する発言なんかを、箇条書きで書き 出してみたいと思います。 ■ いつだったかのサンソンで 「 杉山清貴、稲垣潤一、佐野元春、織田哲郎 の各位とは、 どの程度面識があるか? 」 といった質問のハガキがきた際、「 佐野君とは それなりの知己 ( 知己= 理解者 ) 」 と達郎さん。 ■ 「 25周年オフィシャル・ブック 」 発売時のインタビューで、「 世の中にビーチ・ボーイズ・ファンは たくさんいるけど、山下達郎さんのビーチ・ボーイズ論の右に出る人はいない 」 と佐野さん。 ( 参照 : 25周年オフィシャル・ブック 「 MOSTLY MOTOHARU 」 対談 ) ■ シングル 「 ジャスミンガール ( 1990 ) 」 について、「 当時著名なアーティストの中で 「 〜ガール 」 という曲に 素敵な曲がいっぱいあった。 山下達郎さんの 「 高気圧ガール 」 のように。 だから僕も 「 〜ガール 」 という曲を作りたかった。 」 と佐野さん。 ( 参照 : ジャスミンガール - Wikipedia ) ■ リマスタリングに関する対談の中で … −− 「 佐野さんが 「 元春レイディオショー 」 をやられている頃は、マスタリングというかレベル 調整を誰かがされていたんですか? 」 佐野 「 ラジオ番組制作の現場でそんなことやっているのは、大瀧さんと山下達郎さんぐらいしか いなかったと思う。(笑) 」 ( 参照 : 音楽配信時代における マスタリングの重要性 ) 佐野さんからの発言のほうが 多いようです。 サポートメンバー関係の話では、達郎さん佐野さんともに、ギタリストが佐橋さんです ( 現在、佐野さん のほうからは抜けてしまいましたが ) 。 他に最近では 佐野さんのセッション に、コーラスの佐々木久美さんが参加することが 時々あるよう です。 古いところでは 因縁めいた話になりますが、シュガー・ベイブの 2代目ベーシスト・寺尾次郎さん絡み の件。 寺尾さんは シュガー・ベイブ加入以前、佐野さんとバンドを組んでいた時期がありました ( バックレーン 元春セクション ) 。 どうしてその寺尾さんが シュガー・ベイブに入ることになったのか? 経緯はこんな感じらしいです。 ・ 学生時代、レコード屋でバイトをしながらバンドをやっていた寺尾さん。 そのレコード屋のお客さんに 「 赤い鳥 」 の山本さん夫妻 ( のちのハイ・ファイ・セット ) がいた。 ・ 寺尾さんは山本さん夫妻と話をするようになり、山本さん夫妻から 「 今度バンドを聴かせて 」 と。 ・ 寺尾さんのバンドはバックバンド的なバンドで、ボーカルがいなかった。 そこで メンバーのギターの 人が 知り合いの人を、ボーカリストとして連れてきた。 それが佐野さん。 ・ 何度か練習を重ね とある日、スタジオでオーディション的なセッションが行われる。 そこへ来たのは 山本さん夫妻とユーミン夫妻。 ・ 結果 後日、寺尾さんとドラムの重田(真人)さんが ハイ・ファイ・セットに引き抜かれる。 ・ ツインドラムをやるということで、ハイ・ファイ・セットのバックには ユカリ(上原裕)さんも加わる。 ( この時 銀次さんもギターで加わっている ) ・ しばらくすると ユカリさんが、シュガー・ベイブから誘われる。 ベースは好きな人間を連れて来いと 言われてるからと、寺尾さんを誘いシュガー・ベイブへ。 ( のちに 銀次さんもシュガー・ベイブへ ) 佐野さんはこの件について … ・ 寺尾さんと重田さんのコンビネーションは最高だった。 このベースとドラムで、新機軸のポップ・ サウンドをやっていこうと 燃えていた。 ・ その二人を突然引き抜かれて、プロっていうのは なんてことをするんだろうと思った(笑)。 ・ ( 寺尾さんが シュガー・ベイブに加わったことに対して ) その辺の動きは 遠くから見ていた。 自分の中では … んー、むしろ憎きシュガー・ベイブ(笑)。 ※ レコード・コレクターズ 2012年4月号 : NIAGARA TRIANGLE Vol.2 インタビュー より 私、個人的には、達郎さんと佐野さんの共通項として、「 鉄腕アトム 」 のトリビュート作品を作った人、 というのがあります。 達郎さんは 手塚治虫さんが亡くなられた後に、ご存じ 「 アトムの子 ( 1991 ) 」 を制作。 佐野さんは 1999年、手塚治虫さん生誕70年の際に 「 僕は愚かな人類の子供だった 」 を制作。 僕は愚かな人類の子供だった : シングル・限定パッケージ / デジタル・アートピース ( CD-ROM ) リーフレット これは佐野さんお得意の 「 スポークンワーズ 」 な作品でした。 ※ 佐野元春 - 僕は愚かな人類の子供だった ( YouTube ) … えーと、まあ、達郎さんと佐野さんについては これくらいでしょうか。 やっぱり直接的な関わりは 少ないですねぇ。 ところで、言わなくてもいいことなんですが … 佐野さんと井上陽水さんって、やっぱり義理の兄弟なんでしょうかね? ( ̄x ̄)b 佐野元春 オフィシャルサイト : Moto's Web Server コメントは こちらから |
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