やっぱり 山下達郎が最高! - 山下達郎の大ファンである管理人が、山下達郎に関するあれこれを書いています。 |
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■ グッズ / コレクション ■ | Player : 1989年1月号 / No.275 ( 「 僕の中の少年 」 リリース後の、山下達郎インタビュー掲載 ) |
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( 2017-12-11 ) | 山下達郎 : TOPページ |
Player ( プレイヤー ) 創刊は1968年ということですが、月刊誌として発行が安定的になったのは、1980年あたりから。 現在も発行は続いています。 現在は、200ページ前後くらいまでページ数は減ったようですが、2000年に入ったころには400ページを超えたりもしていたそうです。 自分が所有している 1989年1月号 / No.275 。 このころでも、すでにページ数は多かったようで、当号は370ページ。 とにかく、楽器・機材関係の広告ページが、シャレにならないくらい多い(笑)。 Player : 1989年1月号 / No.275 ![]() 表紙は Ratt(ラット)。 メタル系のバンドなので、自分には知識がまったくありません。 … 辛うじて名前を知ってるくらい。 さっきちょっと調べたら、上の表紙にも写っている ロビン・クロスビー(ギタリスト)は、なんとあの ビング・クロスビー の遠縁の親戚なんだそうです。 ロビン・クロスビーは、1991年に Ratt を脱退。 2002年に42歳の若さで亡くなっています。 前置きが長くなりましたが、表紙をよく見ると 「 山下達郎 」 と書かれていますね。 ![]() 当号には 「 僕の中の少年 ( 1988年 ) 」 をリリースして間もない、達郎さんへのインタビューが掲載されています。 インタビューに割かれているページは5ページ。 普通、アルバムがリリースされた時のインタビューって、収録作品の話とか、アルバムに関する話が多くなるもんですが。 ところがこのインタビューには、そういった話がほとんどないです。 時期的にデジタルレコーディングの話とか、本誌の性質上ちょっと難しめのレコーディング手順の話とか。その他諸々。 難しめのところは除いて、インタビューの内容を紹介してみたいと思います。 インタビュー・タイトル。 「 山下達郎 / そういう使命感というか責任感みたいなものがあるんですよ … 」 序文。 「 山下達郎。彼の作品をじっくりと聴いたことのある人なら、彼がいかに音楽に拘っているかが分かる だろう。 流行廃りの激しいこの音楽シーンの中で、彼はいつも驚くほど完成度の高い作品を15年間に渡り 発表し続けている。 メロディー、言葉、ヴォーカル、アレンジ、サウンド、楽器、コンピュータ … 。そんな彼の拘りは、先日 発売された 「 僕の中の少年 」 という作品にも見ることができる。 常に妥協を許さず自分に対して厳しく見つめている男、山下達郎は語る。 」 ここからインタビュー。抜粋して。 * * 新作 「 僕の中の少年 」 というタイトルですが、邦題のアルバムは初めてですよね? ええ、そうです。 14作目にあたるわけですが、日本語のタイトルは初めてです。 以前からやってはみたかったんですけど、なかなかよいタイトルがなくてね。 「 僕の中の少年 」 という曲ができて、これなら、フォークっぽくもないし、タイトルにピッタリだと思ったんです。 その時からジャケットにもあるんですが、“自転車” をイメージしました。 * * タイトル曲は “少年性” との決別がテーマとなっているようですが、何かきっかけがあったの ですか? 僕はオヤジによく 「 人間、結婚して半人前、子供を生んで一人前 」 と言われてましてね。 2年くらい前に、娘が生まれた時にその曲を書いたんです。 人間生きていくうえではキレイごとばかりじゃ通らない時もあるわけで、ダーティ・ワークも覚えなきゃならない。 そういう意味でも少年じゃないと思ったわけです。 “少年性” は僕より自分の子供の目の中にあった、ということを歌ったものなんです。 言ってみれば、少年性に対する決別と、それの継承がテーマです。 - - - - - - - - - - * * 前作の 「 ポケット・ミュージック 」 では全面的にコンピュータを導入していましたが、今回もやはり デジタル機材をかなり使用しているようですね? シュガー・ベイブの時代から実際シンセはいじっていたし。 僕には運良く坂本龍一っていう最高の先生がいたんですよ。 そういうことからシンセ自体は全然嫌いじゃなかったんですけど、YMOが出た時に、僕はとにかくああいうテクノ・ポップといわれるものが一つのトレンドになったでしょ? で、シンセを使うっていうのは即ああいう意識を代表してたんですよ。 それがとてつもなく嫌で。 そういうもんと一緒にされたくなくてね。 特に 「 ライド・オン・タイム 」 から 「 メロディーズ 」 に至るまでの期間てのは意識的にシンセサイザー、 特に同期ものはやらないようにしてました。 だけど従来の土臭い音、例えばレスポールをただマーシャルに入れたようなああいう音の音楽ってのは、そんなに簡単に消えはしないっていう意識があったんですけど、それが特に日本ではそうじゃなかったんですよね。 やっぱりYMOが一世風靡した段階で、歌謡曲なんかにそういうエッセンスがどんどん取り込まれることによって、シンセがどんどん、どんどん蔓延するようになったんですよ。 そうなると、やっぱりもう日本の音楽業界が全てシンセサイザー、特に同期ものがどんどん増えてくる。 我々は流行音楽なんですよね、ある意味でね。 商業音楽であると。 そうすると楽器というのはある種、時代の音なんです。 DX-7のエレピの音ってのがね、もはや時代の音になってきたんですよ。 それが一つの理由で、もう一つはデジタル化ということです。 録音方式もデジタルになり、楽器もサンプリングという事でデジタル化され、それからリバーブがデジタル・リバーブに代わるんですが、と嫌が応でも全てがどんどんそれに代わっていくんですよ。 で、私達が昔から使ってた楽器ってのはどんどんなくなるんです。 僕はよくEMTという鉄板エコーを使ったんですよね。 EMTは70年代初期に生産がとっくに中止されてて、それを新しく導入しようとしてもそれはセコでしか手に入らないんです。 パーツはあるんですけども作る職人がいないんですってね。 今のEMTが完全に壊れたらもう代えはないんです。 従って嫌でもこれからはデジタル・リバーブ使うしかないんです。 そういう中で我々は音楽を作ってるわけで。 そうすると5年後、10年後を見すえた時に、そういう新しいハードウェアの技術を修塾してないと絶対に時代遅れになるんですよ。 要するにロック・ミュージックって商売の抱えてるジレンマで。 僕はそれが死ぬ程わかってますから、だから 「 メロディーズ 」 が終わった段階でもうデジタル化から逃げられない、と思ったんです。 * * それは 「 メロディーズ 」 が境になったわけですか? というか一番の境は 「 バラエティ 」 です。 竹内まりやの。 「 バラエティ 」 終わった時に、これでアナログで出来ることを全部したと思ったんです。 パソコンは趣味でやってたんですが、これ以上シンセサイザー使わないでやることはもう出来ないと思ったんです。 パソコン自体はPCの8801が出た時に買って、80を友達に借りていじってやってましたね。で、ちょうど折よく88を使ってシンセサイザーをシーケンスするソフトウェア、当時MCPっていうシーケンスソフトウェアが出たんです。 それで自分の使ってるコンピュータで、容易にそれがシンセサイザーとドッキングできるっていう、それが非常にラッキーだったんです。 あれパソコンやってなかったらアウトだったよね、(笑)きっと。 それでね 「 ポケット・ミュージック 」 を作るようになったんです。 そのシーケンサーのソフトウェアを手に入れて3ヵ月間来る日も来る日も、一体同期ものっていうのはどういう原理でできているのか、手弾きを再現するにはどうしたらいいのかということを考えてました。 同期ものはやっぱり僕くらいキャリアのある人間が移っていくと、いかにも流行りものっていう音になるんです。 それは嫌なんですよね。 要するに機械に負けてるっていうかね。 一体今までの音楽性の蓄積は何だったんだ? っていうことになるわけで、そこが山下達郎のヘソ曲りなところであり、僕の命題だったわけです。 つまり今までやってきた事と全く同じ事をコンピュータで再現してやろうと。 それが 「 ポケット・ミュージック 」 最大のコンセプトだったんです。 … 長くなりましたので、続きはこちらで。 ↓ Player : 1989年1月号 / No.275 ( 「 僕の中の少年 」 リリース後の、山下達郎インタビュー掲載 ) - その2 コメントは こちらから |
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